月刊中崎町 リニューアル見本(2026年10月3日更新)。公開中のサイトではありません。
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歴史と文化連載 02 / 05

なぜ中崎町は「済美」と呼ばれるのか?教育に込めた、未来につなぐ願い

なぜ中崎町は「済美」と呼ばれるのか?教育に込めた、未来につなぐ願い

中崎町には「済美(せいび)」という別の呼び名が存在することを皆さんはご存知でしたか。
普段の会話であまり使わない言葉なので、「そもそも知らなかった」「済美って呼び名だけ知っていたけど、どういう意味?」
こんな風に思われた方が多いのではないでしょうか。
実はこの名前には、大正時代に生まれた中崎町に根付く教育の理念と、子どもたちの未来を思う地域の願いが込められているのです。

「済美」という名前の誕生

「済美(せいび)」という名が与えられたのは、大正9年(1920年)のこと。
旧北野村や旧南野村などの地域が一つの学区に編成され、新しく6つの小学校が生まれました。
当時の大阪府知事がその学区に「済美」と名付け、6校はいずれもその名を冠し、「済美小学校」として歩み始めます。
現在の中崎町は、その6校のうちの一つの校区にあたり、後に、この一帯が「済美地区」と呼ばれるようになったのです。
では、「済美」という名前にはどんな願いが込められていたのでしょうか。

「済美」のルーツは「教育勅語」にあり

教育勅語
教育勅語

では、「済美」という言葉の由来はどこになるのでしょうか。
その答えは、明治23年(1890年)に発布された「教育勅語」にあります。
そこには「徳性涵養ノ旨ヲ済メル」という表現があり、「済美」という名はここから採られたとされています。
意味を分かりやすく言い換えると、
「済」=助ける、成し遂げる
「美」=美徳、善いこと
つまり「善を為すこと」「美徳を完成させること」という願いが込められていたのです。
子どもたちが、ただ知識を学ぶだけでなく、社会に役立つ人間性を育み、公共の善を次の世代へ受け継いでいく。
そんな教育理念が「済美」という二文字に込められていました。

地域に根ざす「済美小学校」の存在感

大正9年に設立された済美小学校は、中崎町を中心とする学区の核となり、長らく地域の教育を支えてきました。
当時の地域の子どもたちの学び舎として、大きな存在感を放っており、街の発展や住民同士のつながりと、切っても切れない関係を築いていきました。
学校の行事は地域の祭りや文化活動と結びつき、まさに教育が地域の中心にあった時代だったのです。

現代に受け継がれる「済美」の精神

「済美」という名前は、戦前の教育理念が残っただけにとどまりません。現代でもその精神は息づいています。
済美地域には、学校法人山口学園 ECC国際外語専門学校があります。同校は2004年に国際交流センターを設立し、地域に根ざした社会貢献活動を2025年現在も積極的に展開しています。
たとえば、子どもたちの居場所づくり、多文化共生の推進、地域住民と留学生の交流イベントなど。30年以上にわたり、国際理解教育や地域連携を通して「済美」の名に込められた“公共の善を広げる”姿勢を実践しているのです。

「済美」という名前が語るもの

済美の町並み
済美の町並み

こうして見てみると、「済美」という名前は単なる地名ではなく、
この地域の教育の歴史と理念を象徴する言葉であることが分かります。
大正時代:子どもたちの徳を育み、未来へつなげる願いを込めて名付けられた
戦前〜戦後:済美小学校を中心に、地域と教育が一体となって歩んできた
現代:国際教育や多文化交流を通じて、「済美」の理念が新しい形で継承されている
中崎町を歩きながら「済美」という言葉を耳にしたら、その響きの奥にある歴史や人々の願いに、ふと想いを馳せてみるのもいいかもしれません。

提案のポイント

今の「この街には『なぜ』がある。」はそのまま引き継ぎ、読む順番と見せ方を整えました。代表のデザイン案を受けて夜の配色を基本にし、上の帯の「昼/夜」で昼の配色にも切り替えられます。

  1. 過去・今・未来の3つの入口今のサイトにある「中崎町の過去から今、そして未来への物語」を、そのまま構成にしました。過去=歴史と文化、今=人に会う、未来=Dear 2126。TOPのすぐ下から、3つのどれにも進めます。
  2. TOPは読みやすさを優先写真と文字を重ねず、左に文字、右に中崎町の通りの写真を置きました。最新の取材記事への入口もTOPに置いています。
  3. 夜の路地の雰囲気で統一中崎町がいちばん絵になる、明かりが灯る時間に合わせました。地は夜の色、アクセントは店先の灯りの琥珀色です。TOPは夜の通りの写真を大きく見せ、写真の上は縦書きの見出しと号数「No.10」だけにしました。号数は月ではなく特集ごとの通し番号なので、毎月の書き換えに追われません。最新の特集と3つの入口は、写真のすぐ下に雑誌の目次のように並べています。
  4. 記事は写真と「つかみ」の一文で見せる文字だけだと読まれにくいので、今のサイトの記事の写真と、記事の見出しにある一文を添えました。歴史と文化は01を「まずはここから」として大きく、人に会うは最新の1本を大きく見せています。「今月の取材 準備中」の表示もやめました。
  5. Dear 2126 に「未来」の居場所をつくるゲストのカードは、実物の写真で載せます(名字や管理用の印は消します)。手書きは読みにくいので、押すと大きく開いて文字起こしも読めます。少ないうちは最新の1枚を大きく見せ、10枚を超えたらボードに並べる形へ自動で切り替わります。たまってきたら、宿のコルクボードを季節ごとに撮った写真も載せる予定です。
  6. Instagram「中崎町PR部」とつなぐ「みんなの中崎町」は、Instagramの投稿が並んでいるような見せ方にしました。「私たちについて」では、Instagram=何があるか、月刊中崎町=なぜ魅力があるのか、という役割の違いを並べて見せています。
  7. 代表がまとめた「入れたいもの」を組み込み取材した人に同じ質問をした「なぜ、この街で?」の答え(人に会うの各カードに掲載)、Instagram「中崎町PR部」の再始動の動画、中崎町駅で確かめた「はじめて来る人へ」の7つのことを加えました。
  8. 記事ページの型をつくった市川孝徳さんの記事を見本に、記事ページを作りました(トップの市川さんのカードから開けます)。目次、質問と答えの見分けやすさ、「なぜ、この街で?」の答えの強調、引用、写真の配置を整え、最後に「ほかの人にも会いに行こう」で次の記事へつなげています。ほかの方の記事も同じ型で作れます。
  9. 歴史と文化の一覧と記事ページ連載5本の一覧と、5本すべての記事ページを作りました。記事ページでは、左に「この連載」の目次を置き、最後に前後の連載へ進めるようにしています。文章と写真は今のサイトの記事のままです。
  10. 取材記事の一覧ページ10人の記事を新しい順に並べ、それぞれに「なぜ、この街で?」の答えを添えました(トップの「取材記事をすべて見る」から開けます)。スマホでは小さな写真と見出しのコンパクトな形にしています。
  11. 昼と夜をワンクリックで切り替え上の帯の「昼/夜」で配色が変わります。選んだ配色はほかのページでも引き継がれます。本番では、昼と夜をランダムに出し分けてどちらがよく読まれるかを比べる、といった使い方もできます。
  12. スマホでも使いやすくメニューに「お問い合わせ」を置き、スマホでは≡ボタンでメニューが開きます。下にスクロールすると、右下に上へ戻るボタンが出ます。画像はスマホ用に軽い版も用意しました。年配の方にも読みやすいよう、本文は17px・少し太めの文字にし、すべての文字が読みやすさの基準(大きさ・背景との濃さ)を満たすように調整しています。
この見本の中身について
取材記事のタイトル・名前・日付・リンク先と、「人に会う」「歴史と文化」「みんなの中崎町」の写真は、今のサイトに載っているものです。
「私たちについて」の文章・数字(2024年から取材・100件以上)・路地の写真も、今のサイトの内容をもとにしています。
No.001 のカードは、実際に届いたカード(掲載同意あり)の写真です。名字は画像から消し、影も補正しています。
TOPの夜の写真は、代表のデザイン案で使われている写真です。
TOPの昼の写真は Dear 2126 のリリース素材です。
「なぜ、この街で?」の言葉、再始動の動画、「はじめて来る人へ」の内容は、代表がまとめたデザイン案からです。
市川さんの記事ページの文章と写真は、今のサイトの記事のものです。ほかの方の記事のリンクは、今のサイトの記事ページを開きます。
この見本には、カードの投稿フォームや管理画面は含めていません。